読書感想文/考察 カムパネルラ(1)
米津玄師の『カムパネルラ』について書いていこうと思う。
まず出だしのショワショワは、蒸気機関車の音であると断言して良いだろう。
タイトルを見ればわかる通り、この曲は宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」と関連があるのは明らかだ。カムパネルラは主人公ジョバンニくんの親友の名前である。
MVでも物憂げな女性が電車に乗っているシーンが多く登場するが、この曲を映像なしで聞く人にも、さらに言えばタイトルを知らない者が聞いても「電車関係の話」と知らせる効果がある。
どうだ、出だし三秒で既に天才だろう。
そして前奏が始まる。直感で『アリス』に似ていると感じた。
※『アリス』 米津玄師の曲。4thアルバムの「Bootleg」に収録されている。聞けオラ
途中からしか試し聴きができないのだが、出だしがほんとにそっくりである。曲全体の疾走感はアリスに軍配が上がるが、テンポだけで言えばカムパネルラのほうが早い。いいから聞け
さて、ここから歌詞に言及してくのだが、「銀河鉄道の夜」のネタバレを見たくない方はこの先を読むのをやめたほうがいい。
宮沢賢治が大好きな人も同様だ。私は米津玄師が好きなのであって、宮沢賢治は正直「昔の小説家のおじさん」としか思ってない。いくつかネタバレサイトを眺めただけで、読んだ気になって書く。
ここはそうじゃないんだよ!!!というご意見ご感想は受け付けん。続きを読むのを諦めるか、知ったかぶりをして語られるのを認めるかしてほしい。
銀河鉄道の夜は主人公ジョバンニくん視点で語られる物語らしい。ざっくり言うと「親友のカムパネルラ君と一緒に電車に乗って旅をしていて、僕は生きて帰ってきたけど、カムパネルラくんはクラスメートのザネリくんの身代わりになって死んじゃった」という話だ。かなしい。
そして米津玄師の曲では、この物語をクラスメートのザネリくん視点で描かれているのがポイントである。
その辺のことはインタビューで答えてるし、こんなサイト見に来てるような物好きはもう読んできてるはずだ。
読みに行くのだるいな~という人は「『あ~俺が人の死に関わってしまって申し訳ね~~』という気持ちを歌にしてみたんだね」ということだけわかってればよいと思う。
Aメロ
カムパネルラ 夢を見ていた
君のあとに 咲いたリンドウの花
この街は 変わり続ける
計らずも 君を残して
「歌詞に花の名前が出てきたら花言葉を調べる」は常識よね
- 「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」
このリンドウの意味するところは、ジョバンニくん視点の心情な気がしている。物語ではジョバンニくんが一番カムパネルラくんの傍にいたはずだし、カムパネルラくんを一番愛していたのも、ジョバンニくんだと思う。
つまり「君のあとに咲いたリンドウの花」というのは、カムパネルラくんが死んでしまった後、ジョバンニくんを筆頭とする人々の、死を悼む気持ちが表に出始めた、ということではないだろうか。
そう考えることで、「はからずも」が生きてくる。ここにめちゃくちゃ米津玄師のいいところが現れてる。
この町はカムパネルラ君を残して変わってゆく。三軒先のあの子が引っ越したり、大通りの本屋が閉店したりする。そうしてだんだん、カムパネルラくんのことを忘れてゆく。
彼を忘れてしまうのは「はからずも」なのである。リンドウの花が咲いているのだ、誰も忘れようとなどはしていない。それでも時間がカムパネルラくんの死を風化させる。
歌詞の語り手として据えられているザネリくんは、その現象を客観的に捉えている。だからこそ、「カムパネルラくんの死を忘れて変わっていっている自分」を、一層批判的に見ている。
「はからずも」の五文字が入るだけで、ザネリくんの自責の念のニュアンスを歌詞に落とし込んでいるのである。やばくないか、米津玄師。
Bメロ
真昼の海で眠る月光蟲
戻らないあの日に想いを巡らす
オルガンの音色で踊るスタチュー
時間だけ通り過ぎていく
月光虫って何なん?調べても他の歌手の曲しか出てこない。
あくまで私の想像の域を出ないが、月光虫はカムパネルラくんの比喩ではなかろうか。
カムパネルラくんの死因は溺死。川に落っこちたザネリくんを助けようとして、自分が溺れてしまった。その遺体は引き上げられたのかはわからないが、「真昼の海で眠る月光蟲」は、沈んだカムパネルラくんが水中で安らかに眠るさまを言ってるのではないか。「月光虫」「スタチュー」で韻を踏みたかったのもあるだろう。
そして「オルガンの音色で踊るスタチュー」も、カムパネルラくんのことだと思う。
スタチュー(statue)は、ざっくりまとめると「像」という意味らしい。銅像、塑像、偶像。
「身代わりになって死んだ」という事実は美しい。その神話に感銘を受けた遺された人たちは、カムパネルラくんをある意味で崇拝する。作品世界のその後は知らないけど、「友人を身を賭して救った勇敢な少年の像」とか作られてたりするんじゃあないかな。
「オルガンの音色」は、カムパネルラくんの功績をたたえる讃美歌みたいなもの。三文目はどっちも、カムパネルラくんの死後、彼を讃える村人たちの様子をザネリくん視点で見ていると思われる。
やっぱすごくないか米津玄師。こんな短い文章中にありえんほどの情報量じゃん。歌詞のすばらしさに気付ける日本語話者でよかった。お父さんお母さんご先祖様の皆さん私を日本人にしてくれてありがとう
ところで、AメロBメロのドラムが、名作『KARMA CITY』に似ていると思わないか。
(聞き直したらそうでもなかったわ。まあいっか、名作だし)
ドラムが叩ける人から「違うわ」とのご指摘が来そうだが、私は生まれてこの方ドラムをまじめに叩いたことがないし、リズム感覚もそんなない。ライブで手拍子をすると、気づいたら裏拍を取っているような奴が、細かな違いに気づけるわけないじゃん。
まあともかく、こんな感じの「なんかよくわかんないトリッキーなパーカッション」をまた聞けて、私は満足である。
サビ
あの人の言う通り わたしの手は汚れてゆくのでしょう
追い風に翻り わたしはまだ生きてゆくでしょう
終わる日まで寄り添うように
君を憶えていたい
ファ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
失礼。
考察が要らぬほど直球な歌詞により、濃度の高い神聖さを目の当たりにして語彙力を失ってしまった。
「あの人」はザネリくんの周りの人だけでなく、ザネリくん自身も含まれるのだろうな。お前のせいで、となじられたり、あるいは余計に気を使われたりして、自分で自分を責めずにいられなくなったりするよな、そのうち自分を責める声が自分から来てるのか他人から来てるのか分からなくなって、些細な関係のない一言にもウワーーってなっちゃうよな、ウワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すいませんでした。
【閑話休題】
「追い風に翻り」は、つまり向かい風である。
順当に行けば追い風に乗ってどこかへ行けるものを、あえて向かい風になる方向に歩んでいる。俺は流されないぞ、というザネリくんの意思を感じる。
「追い風」はなんだろう。ザネリくんは何に立ち向かっているんだろう。
もうここは私の考えは書く必要ないよね。たぶん回答はたくさんあるし、全部あってるよ。追い風って何だろ~うわ~って思いながら聞くのが一番幸せだよ。うん。
ファ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
おわりに
さて、『カムパネルラ』一番の歌詞を眺めてきたが、どうだっただろう?
よかったな!!!!!いやほんとうに!!!!!!よい!!!!!!
勿論私も、すべての楽曲を等しく崇拝はしていないし、この曲はそんな好きじゃないとかあるけど、『カムパネルラ』はかなり好きだなぁ~
どこまで進化するんだろな、米津玄師という生き物は…
ほんとは一つの記事で全部の歌詞を眺めたかったけど、長くなりすぎたので切りのいいところで一旦終わりにする。だってこの文書いてる時点で3500字超えそうだもん。レポートかよ
続きをちゃんと書けるかわからんけど、まあ書けたら見てほしいな!更新したら下に追記するね!
ばいばい!